子供のころから偏差値というものの存在に怒りを覚えている日本人が多くいます(たぶん)。

 統計を取ると80%の人が「偏差値なんてものはおかしいよ」と答えている(はずだ)。

 当たっています。そもそも偏差値ができるきっかけになったのは学生運動が盛んなころで、ついには連合赤軍による浅間山荘事件が起こった1972年以降に導入されました。

 これらの学生の怒り、動きをどうコントロールすれば良いのか、時の政府=自民党は考え、それではと発明(というほどでもないが)されたのが偏差値なのです。

 要は、学生たちを国の決めた価値観=偏差値という枠組みに押し込めて、その中での高得点を取った者が官僚になれるし、良い会社にも就職できるようなシステムを作り上げてしまったわけです。

 「こんな偏差値で、そんな夢のようなことを言ってどうするつもりだ」「希望大学にだって行けないぞ」と学生は教師にも親にも言われ、夢も希望もなくし、ひたすら偏差値が上がることに精を出す。

 その弊害は、偏差値の高い学生にも生じ、自分のやりたいことのできる大学に行きたいと思っても「せっかく偏差値が高いんだからこの大学に行きなさい」などと大人に進路を決められてしまいます。

 このような「国家戦略」により、従順になってしまった日本国民には「人生の戦略」を描ける人はいなくなり、偏差値の高い人たちが集まった官僚たちも「国家戦略」持つことなく、中国や韓国に良いようにされてしまいます。

 ただ、日本人の平均的能力は高く、工場等で働けば皆均等な能力を発揮するため、常に正確で精密な家電、自動車などを作ることが出来るようになったじゃないかという人もいますが、それも日本モデルを真似した東南アジアをはじめとした他国にお株を奪われ、日本は惨憺たる有様になってしまいました。

 今度は国家戦略で、「国家戦略を考えられる人間」を作るシステムを考えていただきたい、ものです。

税理士法人SETACS