美味しい食べ物を食べると「おいしい」とか[うまい]とか人々は言いますが、「おいしい」という感覚はどういうことなのか、検証してみたいと思います。

 「おいしい」は果たして料理の中に存在するのか、これは甚だ疑問で、もし料理の中に「おいしさ」が存在するのであれば、全ての人がその料理に賞嘆と喝さいを叫ぶはずですが、「これは私の口には合わないな」という人が中にはいます。

 そうなると「おいしい」は一体どこにあるのかと考えると、「そうか」その考えている頭の中にあるんだなという事を悟ります。

 料理がおいしい前提での話ですが、料理が食卓に出てくると「おいしそうだ」という期待感でビールの入ったコップを思わずテーブルに置き、その料理を一口食べた時に脳は舌と喉と胃袋の感動をキャッチし「何と美味しい料理なんだ、もっと食べたい」という欲求がわいてきて、「生きていて良かった」とい幸福感を料理の味わいとともに味わいます。

 Hugry is a best sauce.というくらいで、お腹が空けば空いたほど料理が美味しくなるのは、古今東西どこの国でも同じであることを考えると、逆に満腹感を覚えれば覚えるほど、「おいしさ」への期待感は無くなり、最後は「今日も満腹になれた、明日からはダイエットだ」とぶつぶつとつぶやき、再び幸せを噛みしめながら店を後にします。

 まあ、この「おいしさ」の感覚は希薄で脆弱な香りもしますので、具体的な要素を考えてみると、人間特に日本人が「これは美味しい」「また食べたい」と天に向かって祈りを捧げるものは何か、ベスト3は「油脂」「出汁」「糖」ではないかと思います。

 この3つを料理のどこかに潜ませることにより、その料理は平凡な存在から希少で美しいものへと昇華し、ヒトの脳を満足させます(たぶん)。

 とまあ、勝手なことを書いてきましたが、人と乾杯をして始める食事が一番おいしいかもしれないという事で、今日もそろそろ乾杯に行ってきます。それでは長らくお待たせしましたが、乾杯。

税理士法人SETACS