ある本によると、ある人が慶大の生徒に「垂直、または水平の直線だけを使って、何かを表現しなさい」といった問題を制限時間5分で出したところ、予想を超える独創的な答えがたくさんあったそうです。
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これはこの人の食事の時間で、朝食9時、お昼12時、おやつ3時、夕食6時、夜食12時、ちょっと食べすぎな感じもありますが、面白い回答です。
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これは夏休みが終わったばかりの小学5年生の朝礼の並び順で、普通は背の低い順に並ぶけど、成長期なので夏休みの間に身長差が生じていましたという、ユニークな回答です。
しかし問題を「条件は付けないので、個人個人で何か条件を考えて、自由に表現してください」と変えると、自分で好きな条件を付けられるのだから、さらに面白い回答が出るかというと、一向にアイデアは出ずに困ってしまったそうです。
「人間は制約の下でこそ、知性という翼を自由に羽ばたかせる」と出題者は語ります。
な るほどと、ポンとひざを打ったのですが、先日あるテレビを観ていると、日本とアジアの国の小学生低学年に「自由に絵を描かせる」と、日本の生徒は 「世界の国と国の間に橋をかけてみんな仲良く」、とか、「世界中を走れる自転車で世界旅行がしたい」などと平和ムードなのですが、カンボジアの子は 「地雷がなくなって近所を走りまわっている自分の絵」、インドネシアでは「茶色い池の水ではなく病気にならないきれいな水を飲んでる家族の絵」、フィリ ピンの子は「町のあちこちに打ち捨てられたゴミの山がなくなり体が痒くなくなった自分の絵」、などを描いています。
そうか、制約とは自由の中にあってこその制約なのであって、環境自体が制約された中では知性という翼は不自由になってしまうのだろうかと、しみじみと考えるものであります。

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