「浄と不浄」は、例えばインドでは人の唾液は不浄なので他人が口をつけたコップで水を飲むことはしませんが、泥は浄なので付いていても気にしません。要 するに、洗剤で洗えば清潔、そうでなければ不潔といった「清潔と不潔」という概念とは違い、不浄なものは洗っても浄にならないのです。
  反対に、日本では、コップに土が付いているのは嫌ですが、他人が使ったコップで水を飲むことはそんなに嫌がらなかったりします。日本人は清潔好きですが、 そのこだわりも千差万別でのようです。中華料理屋の親父がお玉で直接味見をしたり、洋食屋でシェフがスープに指をつけてなめて味見をしたりするのは気にな るけど、神社などで何千何万の人が口をつけただろう杓で口を漱ぐのは大丈夫のようです。
  私などは食べ物が床に落ちてもおいしくて惜しいとなれば拾って食べる場合がありますが、ちょっと変わった病気にご利益のある神様が祀られている神社の杓を 使ったり、水虫や痔に効能のある温泉に入ったりするのはどうもいけません。また、先日電車で汗だくの親父が鼻くそをほじった手で、吊り輪をつかんだ瞬間を 目撃してから吊り輪もつかまれなくなってしまいました。人間の出すゴミもこういった「浄と不浄」または「清潔と不潔」の意識の中から多く生まれているのか もしれません。

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