無信教である日本人にとっての神様は「父母」もしくは「先祖」ではないかと以前書いたことがあります。なぜならば、「何か を成功させたい」、「恐ろしいものから守って欲しい」といった時は、99%(たぶん)の日本人が、仏壇に手を合わせ線香を上げ「ご先祖様、私をお守りくだ さい」と唱えたり、「お母さん、私に味方して」と祈ったりするからです。
その他にも日本人が神のように信じ、心のよりどころにしているものがある ことがここ最近の研究(誰がしたのかな?)で明らかになりました。 以前は、それが「お金」だと考えられていましたが、それではあまりにも味気がないので、その研究では日本人が信じるものは「数字」であるとしています。
日本では、毎日、誰もが、何んらかの「数字」の情報について一喜一憂しています。
会 社の売上が上がった(今月の給料を支払える、借入金も返せる)、今月の売上のノルマを達成した(美味しいお酒が飲める)、数学の点数で不合格点を取った (家に帰るのが嫌だ、そうだテストは捨ててしまおう)、思ったよりも税金が少なくて助かった(SETACSのおかげだ)、会社の格付けが上がった(だから どうした)、r-GTPが上がった(酒の飲みすぎだ)、貯金が減った(だんなに仕事がないからだ)等々です。
そうなんです、生活・仕事・行動・判断、すべての基準になるものは「数字」なのです。あらゆるものを「数字」に置き換えて、「よかった」「悪かった」と思いながら暮らしているのです。
そ んなに「数字」に縛られて「幸せか」と尋ねられても、判断基準は「数字」以外考えられません。「恋愛は数字に置き換えられないわ」「私たち二人の愛は永遠 よ」と言う方もいらっしゃるでしょう。 でも、そんなのは最初の数ヶ月の甘い出来事で、いざ結婚をするとなると、「貴方の給料じゃエステも行けない、会社から帰ったらアルバイトできないかし ら」などと変わって行きます(断定かよ?)
また、結婚式費用も結納金も結婚指輪も、二人の家庭事情と給料などを基準に金額が決められ、離婚する時はお互いの取り分でもめることになります(これはほぼ断定)。
「数字」「数字」「数字」が自分の周りを飛び回る現実を受け止めて生きていくことが、現代社会に住む我々には必要で不可避なことだということが研究の成果なのです。

税理士法人SETACS