「おれは税理士に飽きたから、これからはお前がすべてやれ」
「そ、そう言われても、ぼぼくには」
「もちろん、お前が対処できないことは手伝ってやるから、そうしろ」
これは、15年前くらいの父と私の会話です。私が税理士になって2~3年経ってくらいの時でもあります。また、父が最初の大病にかかったころでもありました。
「あまちゃん2代目」(謙虚だ)、「親の七光り」(おれだよ)などの名をほしいままにしていた不肖の息子(おれおれ)は、途方に暮れた、「どうしよう」。
「それとな、おれの経験から碁とゴルフをやりだすと、のめりこんで仕事ができなくなるから基本的に禁止な」、遊び盛りの30歳台を謳歌しようとしていた不良息子にとどめの一言が突き刺さります。
そ の後、「おれはいつ死ぬかわからないから、聞きたいことがあったら今うちに聞いておけ」と驚かされ、否が応でもやらなければならなくなった2代目は、本人 が宣言した通り税務の仕事からは手を引いた父の助言を受けながらも段々と力をつけ(なんちゃって)、立派に育っていきました(おい、おーい)。
そうやって最後の2年間くらいはもう一切税理士の仕事をしなくなり、そして徐々に自分の影響を無くしていきながら静かに息を引き取ったのです。
これはもしかしたら理想の事業承継方法ではないかと父親ながら感心しています。これを15年前から見据えていたとしたらまさに「深慮遠謀の人」であったと言えましょう。
これからは空の彼方から「七つの光」を放ちながら我々を見守ってくれるのだろうと思っています(七光は消えていないのね)。

税理士法人SETACS