2015年2月某日「そこのみにて光輝く」鑑賞 AA
 日本アカデミー賞最優秀女優賞候補の池脇地鶴が出ている。
 これまた変わった映画だった。
 原作は佐藤泰志(1990年自殺)で第2回三島由紀夫候補にもなった。
 主人公達夫(綾野剛)は無為な生活の一環としてのパチンコ屋通いで、ライターを貸した拓児(管田将暉)の誘いでパチンコ屋を出たその足で拓児の家に行く。
 家は浜辺に建つあばら家で、そこにはとんでもない家族が画面からもわかるような臭気の立つ息苦しい空間にひしめいていた。
 拓児は酔っぱらってケンカ相手を刺して刑務所から仮釈放中、頭も弱いがいいやつ。
 姉の千夏(池脇千鶴)は週3回の塩辛工場での働きでは家族を養えないので街のスナックで売春をする、意地っ張りだが実はかわいい性格。
 父と母の出番は、脳こうそくで身体が動かなくなったが性欲だけは強い父の性欲を満たす母という関係。
 拓児が仕事で世話になる中島(高橋和也)は千夏を愛人にして、別れたがる千夏に「お前の弟の保護観察人への報告は俺がしているんだぞ」と脅す史上最悪のキャラ。
 そんなどうしようもない人間がどうしようもないドラマを繰り広げる。
 どこに「そこのみにて光輝く」のだろうか?

 原作では、早々と達夫と千夏は結婚してナオという女の子を産んでいる。
 映画では、山での発破作業で部下を死なした達夫が街にやって来て住みつき、そこで知り合った拓児が山の仕事に就きたがるストーリーであったが、原作では山の仕事をやっている男を拓児が見つけてきて達夫がそれに乗っていくストーリーになっている。
 映画と原作の関係はこうも違っても面白い。
 映画を先に観るべきか、原作を先に読むべきか

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