1.日本橋高層ビルの秘密

 今、日本橋三越の周りでは、昔からあった45階のビルが次々と壊されて、新しいビル群へと街の姿が変化しつつあります。

 マンダリンオリエンタル東京が日本橋三越の並びに数年前に建設されたのを皮切りに、今月末には、その向かいにコレド室町がオープンして、その隣の刃物の木屋の一画も工事が始まっています。

 高層ビルを建てるときに問題になるのが「容積率」で、敷地面積×「容積率」がビル全体の延床面積の限界になるので、この容積率によりビルが建てられる階数が決まってきます。

 しかしビルを建てる施主はなるべく高く建てたほうが目立つし、買収した所でもともと商売をやっていた人たちのお店も確保しなくてはならないし、階数利用の面からも20階よりは30階、30階よりは40階のビルを建てたいというのが人情いや重大な経営問題でしょう。

 そうなると恨めしいのがこの「容積率」で、敷地面積は買収した広さでこれ以上拡げられません。

 そこで考えられたのが「容積利用権の譲渡」で、近隣のほかのビルの容積率の未利用部分を買って、目一杯の容積率によりより高いビルを建てようということです。

 台東区NO1の高層ビルになる超耐震といわれる浅草タワーもこの方法で容積率を譲受け建てられました。そうなるとマンダリンもコレドも三井不動産がオーナーであること、しかも隣に重要文化財の指定を受けてこれ以上増築などをしてはいけない低層ビルである三井住友銀行があります。

 どうやらこの辺のスキームでこれらの高層ビルは、東京を見晴らす景観も空の風もゲットしたようです。

 これからは高層ビルの上の方の階に行ったときは、周りの低層ビルのプレゼントにより私もこんな高いところでご飯を食べているんだななどと思いながらナイフとフォークを動かすのも一興でしょう。

 

2.恐るべき一人キャバクラ

 友人Hは、中学時代は一緒にその辺をぶらぶらと遊んでいたはずなのですが、なぜか勉強がよくできて開成高校から慶応大学という他の親から見るとよだれが出るほどの学生時代を過ごし、十数年前に父親を亡くした後は、母親の生活をずっと見てきて、そのせいだかモテないのだかわかりませんが独身を通し、先日残念ながらそのお母さんは亡くなり、彼はお母さんのご飯を作ることもなくなりました。

 そんなキャバクラが大好きな彼が、みんなと飲んだ後に一人でふと新宿の歌舞伎町をフラリとしながら客引きにひかれるままにとあるキャバクラに入ってしましました。

 後になって気が付くと何かしらの「薬」を盛られていたのですが、入店の記憶も定かでないまま「はっ」と気が付くと、寒い夜の路上に転がっていて、時間はと見ると朝の4時半で、バックも当然ながら財布もすべてなくなっていました。かろうじてズボンのポケットに残っていた携帯電話で全てのカードの使用を止めて、朝を待ち銀行通帳の残高を調べると、なんと30万円がおろされています。

 すぐさま警察に駆け込み調べてもらうと、歌舞伎町内のコンビニエンスでおろされていることが分かり、警官同行でそのコンビニへ行き防犯ビデオを見ると、再び「なんと」「なんと」、自分がATMを操作しておろして女に渡しているところが映っています、もちろんこれも記憶になりません。

 何か、人の言うことを無意識のままに従ってしまうようなバナナフィッシュのような危険な薬をお酒に混ぜられ、命令され、お金を引き出し、恐るべきキャバ嬢に渡してしまったのでしょう。

 警官も「自分でおろしているのならしょうがないですね」と言って帰ってしまいました。

 恐るべきは「一人キャバクラ」ですね・・・そ、そういう問題じゃないか、気を付けましょう。

 

3. 二宮金次郎の薪の秘密

 神田の事務所の周りの小中学校が次々と廃校になり、その校庭では、心なしか悲しそうな顔で重そうな薪を背負った二宮金次郎さんが中国の科挙試験にも出てくる「大学」を読んでいます。

 その二宮さんは、実は「節約」や「努力」の人だけではなかったことが、猪瀬直樹(テレビに出ているときはいつも不愉快そうな顔をしているひとです)さんの本に書いてあります。

 二宮金次郎は、25歳の時に箱根の薪山を買い、薪を切り出して売って3年間で元の資金を5倍にし、その稼いだお金を友達に貸して利息を取り、資産運用のために田畑を買い足し、二宮個人は①不動産所有者②金貸し業、そして自らが③労働者となります。

 こうなったら、現代の日本人ももう不況だ円高だと言っている場合じゃないですね、校庭でさみしく本を読んでいる場合でもないですね、がんばろうニッポン。

 

4.マムシ酒は飲めるのか

 奄美大島を大雨と季節外れの台風が襲い、被害の大きさに復旧が心配されています。

テレビを見ていると被害は普通の雨災害以外に、ハブ災害があるといいます。普段は山に住んでいるハブが雨による水の流れに乗って街に流されてくるというのです。

そこで思い出すのが、マムシ酒です。何を思い出すのかというと、そのマムシ酒の作り方に衝撃を受けたつらい過去を思い出します。

場所は忘れましたが、川沿いにある駐車場に車を止めて階段沿いに渓谷を降りていくと、観光客相手のお土産屋さんが数件並んでいました。

驚いたことに、それらのお土産屋さんの店頭のすべてにマムシ酒とマムシ酒になる前の段階のものが置いてあります。その「マムシ酒の前の段階」のものが驚異で、マムシたちは生きたまま500mlのペットボトルの中に入れられています。

「これは生きているけど、正しいのですか?」と私が訪ねると、お店の人は「そうなんですよ、捕まえてすぐに焼酎を入れちゃうと不純物が出ちゃうので、3~4か月餌を与えず生かしといてマムシの胃の中がきれいになったら、焼酎を入れてマムシ酒を作るんですよ、このマムシなんか元気で効きますよ」といかにも餃子を包むときは親指と人差し指で周りをつまんでね、などのように普通に会話をします。

スゴイなと思いつつ、これも日本の食生活なんだなとマムシの動きに目が回る思いでした。

税理士法人SETACS