給食の思い出を語れと言われても、もうこの年になるとなかなか思い出せませんが、美味しくなかったけど残したことはなかった記憶があります。あの味気のな い「コッペパン」でさえも持ち前のがっつき根性で何とか完食はしていました。しかし根性のない人も学校にはいたようで、校内放送で、「学校の帰りに人の家 の犬にパンを与えてはいけません、苦情が来ています」というアナウンスがよくありました。
それと「コッペパン」が、月に1回くらい「揚げパン」に替わるのが許せませんでした。黒いような油がしみこんだパンに砂糖がまぶしてあるなんて、これはきっと第2次世界大戦の戦勝国が負けた国の国民に屈辱を味合わせるための作戦かとも思いました。
ところがこの発想はあながち間違ったものでもなく、なんと日本が給食にパンを取り入れたのはアメリカの陰謀だったのです。
昭和28年のアメリカは小麦が大豊作というか過剰生産で、とてもアメリカ人のみで食べられるものではなく、あらゆる倉庫、軍用船にまでも小麦を貯蔵して、その倉庫代が1日でなんと2億円になったそうです。そこで、時の大統領アイゼンハワーは考えました。
「どこか小麦の売れそうな国を探して来い」の号令の下、日本がいいだろうということになり、日本に「キッチンカー」なるバスを12台送り込み、「栄養改善・粉食奨励」を旗印に日本全国を巡回し、日本人の舌をパンになじみこませ出したのです。
その次にアメリカは学校の給食に目をつけ、やはり日本全国で試食会などを行い、日本の製パン業界の育成にも力を入れ、さらに、「白米の過食は短命である」とか「日本人の早老短命は米の大食偏食だ」とのキャンペーンまで張りました。
その結果が、あの給食の「コッペパン」挙句の果ての「揚げパン」なのです。そして、アメリカ農務省は「日本はアメリカ小麦の最大の買い手となり、小学生の うちにパンの味を覚えると一生パンを食べてくれる、しかもインスタント・ラーメンにもアメリカ小麦を使っている。アメリカ農務省の開拓の成果だ」とえらそ うな報告をし、その陰謀に舌を麻痺させられた日本人はマクドナルドさえもすんなりと受け入れてしまったわけなのです。

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